リード文
未来ログに、数字が映った。
相性98%。
ミオが取材で使っていたマッチングアプリの体験画面が、明日の選択室の机の上で、静かに光っている。
うれしいはずの数字だった。それなのに、ミオはその場で固まってしまった。
選ばれるのは、安心する。でも、自分で選んだ気がしないのは、どうしてだろう。
AIが恋の相手を選んだ日
きっかけは、取材のためのアプリだった。
「次の特集、AIと恋愛でお願いできますか」
上司にそう言われて、ミオは苦笑いした。恋愛は、あまり得意な話題ではない。それでも仕事だからと、AIマッチングのアプリをいくつか試すことにした。
プロフィールを入れる。好きなもの、苦手なもの、休日の過ごし方、大事にしたい価値観。質問はやさしくて、答えやすかった。
入力を終えると、アプリは少し考えるように間を置いて、一人の相手を表示した。
その横に、大きな数字があった。
相性98%。
ミオは、思わず画面を見つめた。
会ったこともない人だった。それなのに、アプリは「あなたたちは、とても合います」と、静かに言い切っている。
その夜、明日の選択室で、ミオは何気なくその画面を開いた。
すると、机の上の未来ログが淡く光り、同じ数字を映し出した。
相性98%。
ミオは、なぜか固まってしまった。
レンがのぞき込む。
「うわ、98%。すごいじゃないですか」
「……そう、なんですかね」
「なんですかその反応。喜ぶところでしょ」
ミオは画面を伏せた。
「うれしい、はずなんです。でも、なんか」
言葉を探す。
「この数字を見た瞬間、私、この人のこと好きになっていいのかなって、思っちゃったんです」
レンが、少しだけ真顔になった。
「数字が出ると、そっちに引っ張られる感じ、ありますよね」
カイが資料から顔を上げた。
「その98%が、何を見て出された数字か、気になりませんか」
ミオは首をかしげた。
「何を、って……好みとか、性格とか、ですよね」
「たぶん、それだけじゃありません。AIのマッチングは、たくさんの人のデータを見て、似た傾向の人がうまくいきやすかったパターンを探します。過去の会話、返信の速さ、続いたやりとり、そういうものも材料になることがあります」
「私の……過去のやりとりも、ですか」
「入力した情報の範囲では、そうかもしれません。だから、便利です。でも、その数字は『あなたがこの人を好きになる』という予言ではないんです」
レンが口を挟んだ。
「天気予報みたいなもんですかね」
カイがうなずいた。
「近いですね。降水確率98%と言われたら、傘を持つ判断はしやすい。でも、どこへ行くか、誰と行くかは、自分で決める」
ミオは、その言葉をゆっくり受け止めた。
「相性98%は、傘を持つかどうかまでで……」
「その先は、ミオさんの領域です」
そのとき、扉が開いて、ノアが静かに入ってきた。
「にぎやかですね」
「ノアさん。恋愛の話です」
レンがそう言うと、ノアは少し微笑んだ。
「数字に、驚いていましたか」
ミオは驚いた。
「どうして、わかるんですか」
「数字は、安心をくれます。でも、時々、自分の気持ちより先に答えを出してしまう。それで、立ち止まる人を、何人か見てきました」
ノアは、ミオの前にそっとお茶を置いた。
「ミオさんは、その人のこと、好きですか」
「……まだ、わかりません。会ってもいないので」
「では、まだ98%は、始まってもいませんね」
ミオは、少しだけ肩の力が抜けた。
そのとき、部屋の奥で低い音がした。
「スクリーンです」とノアが言った。
地下室の分岐スクリーンが、淡く光り始めた。
最初に映ったのは、明るいカフェだった。
AIが相性の高い相手を選び、会話のきっかけまで用意してくれる。人見知りの人も、忙しい人も、出会いのチャンスを逃さない。孤独だった人が、誰かとつながっていく。
ミオは息をついた。
「これは……救われる人、多そうですね」
「はい」とノアが言った。「出会いの入口を広げることは、きっと大切です」
次に映ったのは、似ているけれど少し違う世界だった。
人々は、相性スコアだけで相手を判断していた。
90%を切ると会わない。数字が下がると、会話をやめる。付き合ったあとも、アプリが「相性が低下しています」と告げると、不安になる。自分の気持ちより、数字を信じる。
レンが低く言った。
「これ、しんどいですね。数字に振り回されてる」
三つ目に映ったのは、静かな部屋だった。
そこでも、人はAIの提案を受け取っていた。でも、数字を見たあとに、自分の言葉で考えていた。
「この人と話してみたいな」 「数字は高いけど、私はこの人の話し方が苦手かも」 「数字は低いけど、なんだか気になる」
AIは候補を見せる。会話のヒントもくれる。でも、好きかどうかを決めるのは、最後まで人だった。
ミオは、その部屋をじっと見つめた。
「AIは、選んでくれてるんじゃなくて、教えてくれてるだけなんですね」
スクリーンの光が、静かに消えた。
一階に戻ると、未来ログはまだ淡く光っていた。
カイが言った。
「今日の問いは、どうしましょうか」
ミオは少し考えた。
「AIは、恋の相手を選べるのか」
レンが首を振る。
「それだと、選べる、選べない、で終わりますよ」
「じゃあ、レンさんなら」
レンは少し黙ってから言った。
「AIが選んでくれた相手を、自分で選び直せるか、かな」
ミオは、その言葉を未来ログに書き写した。
相性98%の先を決めるのは、私。
書き終えて、ミオは小さく笑った。
「なんか、ちょっと楽になりました」
ノアが静かに言った。
「数字は、あなたの気持ちを否定しません。あなたの気持ちを、置き換えることもできません」
帰り道、ミオはアプリを開いた。
相性98%の相手のプロフィールが、まだそこにある。
ミオは、その数字ではなく、その人が書いた小さな一文を、ゆっくり読んだ。
「休日は、古い喫茶店で本を読むのが好きです」
ミオは、少しだけ笑った。
数字ではなく、その一文に、ほんの少し、会ってみたいと思った。
それは98%が決めたことではなく、自分で決めたことだった。
明日の選択室の窓から、淡い光が漏れていた。
Side Story
99%の日
レンは、コンビニの前で缶コーヒーを飲んでいた。
昔、一度だけ、マッチングアプリを使ったことがある。
そのとき表示された数字は、99%だった。
レンはその数字を信じた。だから、少し無理をした。相手に合わせて、笑って、話を合わせて、うまくやろうとした。
でも、続かなかった。
99%だったのに、と、当時のレンは思った。数字が高いのに、どうしてうまくいかないんだ、と。
今なら、少しわかる気がする。
数字は、二人が似ていることを教えてくれた。でも、似ていることと、一緒にいて楽なことは、同じではなかった。
レンは、無理をして数字に合わせていた。自分の気持ちより、数字を優先していた。
缶コーヒーを飲み干して、レンは夜の道を見た。
自動運転バスの実証実験の看板が、街灯に照らされている。
便利な技術は、判断を助けてくれる。でも、判断そのものを肩代わりしてはくれない。
それは、恋愛でも、たぶん同じだ。
レンは、今日のミオの顔を思い出した。98%の数字に固まって、それでも最後は、自分で少し笑っていた。
「あの人は、大丈夫だな」
レンは小さくつぶやいて、駅の方へ歩き出した。
次に誰かと出会うことがあったら、今度は数字を見る前に、自分の気持ちを見よう。
そう思えるようになっただけで、少しだけ、前より自由な気がした。
