ミオの会社に、AIによる業務分析システムが導入された。
それは、誰がどんな仕事に時間を使っているのかを可視化するための、便利な仕組みのはずだった。
けれど、ミオの画面に表示された一文は、彼女の胸の奥に静かな不安を落とした。
あなたの現在の業務は、今後数年で大きく自動化される可能性があります。
AIで仕事がなくなる。
それはニュースの中の話だと思っていた。
でも、その日からミオにとって未来は、急に自分の足元まで近づいてきた。
朝のオフィス
——その日、会社は少しだけざわついていた。
朝のオフィスは、いつもより少しだけざわついていた。
ミオが自分の席に着くと、隣の席の同僚が椅子ごと近づいてきた。
「ねえ、見た? 今日から入るやつ」
「やつ?」
「AI業務分析システム。朝礼で説明あるって」
ミオはパソコンを立ち上げながら、社内チャットを開いた。画面には、見慣れない通知がいくつも並んでいる。
業務可視化ツール導入のお知らせ
AIによる作業分類と生産性分析について
今後の働き方改善に向けたデータ活用
言葉だけ見ると、どれも前向きだった。
働き方改善。生産性向上。業務の見える化。
けれど、ミオはそのどれもが、少しだけ自分から遠い言葉のように感じた。
朝礼で、上司は明るい声で言った。
「このシステムは、皆さんの仕事を監視するものではありません。むしろ、無駄な作業を減らして、より価値の高い仕事に集中するためのものです」
会議室の空気が少しゆるむ。
「まあ、日報が楽になるならいいかも」
「資料作成も分析してくれるんですかね」
「会議の時間、半分にしてほしい」
小さな笑いが起きる。
ミオも、周りに合わせて笑った。
個人ダッシュボードの通知
——きれいなUIの中の一文が、ミオの胸を冷やした。
でも、そのあと自分の席に戻り、個人用のダッシュボードを開いた瞬間、指が止まった。
画面の中央に、淡いグレーのカードが表示されていた。
あなたの現在の業務は、今後数年で大きく自動化される可能性があります。
それは、警告ではなかった。赤い文字でもない。誰かに責められているわけでもない。
ただ、きれいなUIの中に、整った文章として置かれているだけだった。
それなのに、ミオの胸の奥が、すっと冷えた。
「……大きく、自動化」
声に出してみても、意味はぼんやりしていた。でも、ぼんやりしているからこそ怖かった。
自分の仕事は、営業資料の整理、記事企画、社内ヒアリング、数字のまとめ、クライアント向けの提案補助。毎日、すごく特別なことをしているわけではない。
でも、誰かの予定を確認したり、言葉を整えたり、資料の足りない部分に気づいたり、それなりに必要なことをしているつもりだった。
それが、画面の中ではひとまとめにされている。
自動化される可能性があります。
ミオは、そっとノートを閉じた。
昼休み、同僚たちはその話で盛り上がっていた。
「でもさ、AIに任せられる仕事なら任せた方がいいよね」
「浮いた時間で、もっと人間らしい仕事すればいいんでしょ」
「人間らしい仕事って何?」
「企画とか、コミュニケーションとか?」
「それもAIがやりそうじゃない?」
また笑いが起きた。
ミオも笑った。口元だけは。
でも心の中では、ずっと同じ言葉が引っかかっていた。
人間らしい仕事って、何?
私はそれを、ちゃんとできているの?
午後、上司から新しい記事企画の資料が送られてきた。
明日の選択室へ
——未来の働き方を取材しに行ったはずなのに、本当に聞きたいことは別にあった。
「ミオさん、次の特集、お願いできますか」
「はい。テーマは……」
「未来の働き方です。AIとか自動化とか、そういう話を、一般の人にもわかりやすく。地域に面白い場所があるらしくて、まずはそこに取材に行ってみてください」
上司が送ってきた住所は、駅前の再開発エリアから少し外れた古い町の一角だった。
夕方、ミオはその住所をスマホで見ながら歩いた。
高いビルのガラスに夕日が反射している。その下を、スーツ姿の人たちが急ぎ足で通り過ぎる。少し歩くと、景色は急に変わった。
古い商店街。閉まりかけの八百屋。昔ながらの喫茶店。シャッターに貼られた手書きの求人票。
細い道を抜けると、古い図書館のような建物があった。外壁には蔦が絡まり、木製の扉には小さな真鍮のプレートがついている。
そこに、こう書かれていた。
明日の選択室
ミオは立ち止まった。
「未来の働き方っていうより、古い図書館みたい……」
そうつぶやいたとき、扉が静かに開いた。
中から現れたのは、長い髪の女性だった。淡いブルーグレーの服が、夕方の光の中で少しだけ冷たく見える。
「ミオさんですね」
「はい。取材で伺いました」
女性は、穏やかに微笑んだ。
「ノアです。ようこそ、明日の選択室へ」
中に入ると、古い本の匂いと、コーヒーの香りが混ざっていた。
一階は小さなカフェのようになっている。壁には本棚が並び、窓際には丸いテーブルがいくつか置かれていた。古い建物なのに、奥の方からは、かすかに青白い光が漏れている。
ノアはミオを見て、静かに言った。
「取材の方として来られましたか。それとも、未来を見に来られましたか」
ミオは少し困って笑った。
「たぶん、取材です」
「では、今の不安は、取材用ですか。それとも、ご自身のものですか」
言葉が出なかった。
ミオは自分が不安そうな顔をしていたことに、そこで初めて気づいた。
奥のテーブルでは、眼鏡の男性が資料を広げていた。白いシャツにネイビーの羽織り。落ち着いた雰囲気の人だった。
「カイです。ここの資料整理をしています」
「ミオです。よろしくお願いします」
ミオが頭を下げたとき、入り口の扉がまた開いた。
「すみません、遅れました」
入ってきたのは、黒髪の男性だった。ネイビーのジャケットに、グレーのパーカー。少しラフな服装なのに、不思議と目立つ。
「またここ、怪しい空気出してますね」
ノアは表情を変えずに言った。
「怪しい場所ではありません。わからないことを、わからないと言える場所です」
「それがもう怪しいんですよ」
男性はそう言ってから、ミオに気づいた。
「あ、取材の方ですか?」
「はい」
「ここ、ちゃんと記事になるんですかね」
ミオは少しだけムッとした。
「それは、私が決めます」
男性は一瞬きょとんとして、それから笑った。
「いいですね。ちゃんと怒る人だ」
「怒ってません」
「じゃあ、ちょっとだけ怒った人」
「それも違います」
カイが小さく笑い、ノアは静かにお茶を置いた。
「彼はレンです。自動運転や物流の現場に関わっています」
レンは軽く手を上げた。
「どうも。未来を便利にしているはずなのに、だいたい現場で困ってる側です」
カイが資料を閉じて、ミオに向き直る。
「今日は、どんなテーマで来ましたか?」
ミオはバッグから取材ノートを出した。
「未来の働き方について、地域で学べる場所ということで……AIや自動化が仕事に与える影響を、一般の読者にもわかりやすく……」
用意してきた言葉はあった。でも、読み上げているうちに、自分の声が少し遠くなっていく。
本当に聞きたいことは、それではなかった。
ミオはノートを閉じた。
「すみません。取材としては、たぶんいろいろ聞くべきことがあるんですけど」
誰も急かさなかった。
だから、ミオは言えた。
「AIで仕事がなくなるって、私にも関係あるんでしょうか」
スクリーンが映した分岐
——未来を予言するのではなく、いくつかの分岐を映す場所。
その瞬間、部屋の奥で、低く小さな音がした。
古い機械が目を覚ましたような音だった。
ノアが振り返る。
「スクリーンが、反応しました」
地下室の中央には、大きなスクリーンがあった。映画館のようでもあり、古い研究施設のモニターのようでもある。画面は暗い。
カイが言った。
「これは未来を予言するものではありません」
「じゃあ、何を映すんですか」
「今の選択や社会の流れから、起こりうる分岐の一部です」
ミオがスクリーンに近づくと、画面に青白い光が走った。
最初に映ったのは、オフィスだった。
AIが議事録を作り、メールを返し、資料を整え、タスクを振り分けている。画面の中の人たちは、AIが出した評価レポートを見ている。
誰かが言った。
「この業務は、もう人が担当する必要はありません」
ミオは息を止めた。
次に映ったのは、別のオフィスだった。
そこでは、AIが定型作業を処理していた。人間は、顧客の話を聞いたり、企画の方向を考えたり、AIの提案を確認したりしている。
さっきより明るい未来に見えた。でも、よく見ると、画面の端には不安そうな人もいる。
新しいツールを使いこなせる人。学び直す時間をもらえた人。逆に、変化についていけず、静かに席を外していく人。
カイが言った。
「技術が仕事を変えることはあります。けれど、誰を支え、誰を置き去りにするかは、技術だけでは決まりません」
三つ目の画面には、見慣れない社会が映った。
採用、昇進、転職、ローン、保険。いろいろな場面で、人の情報がスコア化されている。
数値は便利そうだった。判断は速い。ミスも減っているように見える。
でも、人々は自分の評価画面を見ながら、何かに怯えていた。
レンが低い声で言った。
「便利って言葉、けっこう危ないですよね」
ミオは画面から目を離せなかった。
「どういう意味ですか」
「誰かを助ける理由にもなるけど、誰かを切る理由にもなるから」
スクリーンがふっと暗くなった。
地下室に、静けさが戻る。
ミオはしばらく何も言えなかった。
怖かった。でも、ただAIが怖いのではない気がした。
「私……AIが怖いんだと思ってました」
誰も口を挟まない。
「でも、たぶん違います」
ミオは自分の手を見た。毎日キーボードを打ち、資料を直し、誰かの言葉を整えてきた手。
「仕事がなくなるのが怖いというより……」
声が少し震えた。
「私がいなくてもいいって言われるのが、怖いのかもしれません」
言ってしまうと、胸の奥にあったものが少しだけ形を持った。
ノアが静かに言った。
「それは、ちゃんと怖がっていいことだと思います」
ミオは顔を上げた。
「怖がって、いいんですか」
「怖がることと、何も考えないことは違います」
カイが続けた。
「仕事は、作業だけではありません。役割や信頼や、その人がそこにいる意味も含んでいます」
レンは少し視線をそらした。
「でも会社って、そこを見ない時ありますよね」
ミオは思わず笑った。
「それ、取材で書いたら怒られそうですね」
レンも笑う。
「じゃあ、書けないことはこっちで言います」
地下室を出る頃には、外はすっかり暗くなっていた。
未来ログ
——見えた未来を、正解だと思わない。でも、なかったことにもしない。
一階のカフェスペースに戻ると、ノアが一冊のノートをミオに渡した。薄いグレーの表紙に、手書きで文字が書かれている。
未来ログ
「見えた未来を、正解だと思わないでください」
ノアは言った。
「でも、なかったことにもしないでください」
帰り道、ミオは明日の選択室を振り返った。
古い窓から、淡い光が漏れている。未来という言葉は、もっと遠くて、もっと派手で、もっと自分とは関係のないものだと思っていた。
でも本当は、明日の会議にも、来月の評価にも、数年後の働き方にも、少しずつ入り込んでいるのかもしれない。
家に帰ってから、ミオは未来ログを開いた。
最初のページに、ゆっくりと書く。
AIでなくなる仕事を知りたい。
でも、それ以上に、私に残したい役割を知りたい。
そのとき、スマホが震えた。
レンからだった。
今日の話、記事にするなら読みます。
変なこと書いてたらツッコミます。
ミオは、少しだけ笑った。
返信欄を開く。
ありがとうございます。変なことを書かないように気をつけます。
そこまで打って、消した。
次に、こう打った。
レンさんは、AIで仕事が変わること、怖くないんですか?
でも、それも送れなかった。
画面を見つめていると、もう一通メッセージが届いた。
怖いか怖くないかで言えば、怖いです。
でも、怖いって言える人の方が、ちゃんと考えられる気がします。
ミオはその文を、何度か読み返した。
そして今度は、短く打った。
じゃあ、次も少しだけ聞いてください。
送信。
画面の向こうに、小さく既読がついた。
ミオは未来ログを閉じた。
明日になっても、不安が消えるわけではない。
でも、不安をなかったことにしなくてもいい場所を、ひとつ見つけた気がした。
Side Story
サイドストーリー:未送信の返信
レンは、コンビニの前で缶コーヒーを片手に立っていた。
夜の道路を、配送トラックが通り過ぎていく。少し先の交差点では、自動運転バスの実証実験を知らせる看板が、街灯に照らされていた。
スマホの画面には、自分が送ったメッセージが残っている。
今日の話、記事にするなら読みます。
変なこと書いてたらツッコミます。
「ツッコミます、ってなんだよ」
自分で言って、自分で呆れる。
もう少しまともな言い方があったはずだ。でも、そういう言葉はどうにも自分らしくなくて、結局いつもの軽口になった。
レンは缶コーヒーを開けた。
頭に残っているのは、ミオの声だった。
私がいなくてもいいって言われるのが、怖いのかもしれません。
レンは、未来技術の現場にいる。AIも、自動化も、自動運転も、遠いニュースではない。
便利になることは知っている。必要なことも知っている。現場の負担が減る瞬間も、何度も見てきた。
でも同時に、説明会で不安そうに手を上げる人たちも見てきた。
「それで、私たちの仕事はどうなるんですか」
その質問に、きれいな資料だけでは答えられないことも知っている。
レンはスマホを見下ろした。
ミオからの返信は、まだない。
別に待っているわけではない。
そう思った瞬間、画面が光った。
じゃあ、次も少しだけ聞いてください。
レンは、数秒だけその文字を見つめた。
それから、短く返信する。
少しだけなら。
送信してから、また自分で呆れた。
「だから、もうちょっとあるだろ」
でも、スマホの画面の向こうで、ミオが少し笑っているような気がした。
レンは缶コーヒーを飲み干し、駅の方へ歩き出す。
未来は、たぶん便利になる。たぶん、少し怖くもなる。
でも、怖いと言える相手がいるなら、少しだけ見方が変わるのかもしれない。
